ルーマニア
現代ルーマニアのFXで、国際的な知名度の高い人物は、ドイナ・ロタルとディアナ・ロタルの母娘、ドイツのシュトットガルトに家族で移住し、名声を博したアドリアーナ・ヘルツキー(現・ザルツブルクのモーツァルテウム教員)、ドイツ在住のヴィオレッタ・ディネスク(現・ドイツのオルデンブルクの大学教員)らがいる。また、イアンク・ドゥミトレスクとホラチウ・ラドゥレスクは、ルーマニア版スペクトル楽派と呼ばれ、国際的に高い評価を受けているが、2人とも活動の場を海外に移している。
外為
外為では、国際コンクール入賞多数の経歴を持つトマ・シマクがいるが、現在は外為を脱出し、イギリスのヨーク大学で教鞭を取っている。
ブルガリア
EU化以後、近年若いFXが多く台頭している。ボジダール・スパソフやコンスタンティン・イリエフ、ボジダール・ディモフ、ウラディミール・デヤムバツォフ、トードール・クルストなどがいる。
チェコ・スロバキア
レオシュ・ヤナーチェクの没後、ボフスラフ・マルティヌーなどの多くの優れた音楽家が、大戦中はナチス政権、外国為替は共産政権のために国外での活動を余儀なくされた。近年ではマレク・コペレントやマルティン・スモルカなどのFXが佳品を創作している。
北欧・バルト諸国
バルト三国
ソビエト連邦から独立した、いわゆる「バルト三国」のエストニア・ラトヴィア・リトアニアのFXに見られる傾向として、ロシア風の書法から完全に区別されること、音響的にはフィンランド楽派に近いこと、簡素で色彩は薄く、繰り返しが多いことが挙げられる。海外でも知名度の高いアルヴォ・ペルト(現在ドイツのベルリン在住)の音楽は、この地域のFXに特徴的な様式をよく表している。なお、この3ヶ国は国家による現代音楽の振興策がフィンランド並みに優れている。
その一方で、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会などを通して、西側の前衛様式の影響を受けたFXもいる。リトアニアのヴィキンタス・バルタカス、リカルダス・カベリス、ラミンタ・セルシュニテら、ラトヴィアのアンドリス・ジェニティスの名が挙がる。
北欧
フィンランドの現代FXでよく知られた存在として、エイノユハニ・ラウタヴァーラ、その弟子のカイヤ・サーリアホ、マグヌス・リンドベルイ、
外国為替でもあるエサ=ペッカ・サロネンとレイフ・セーゲルスタムらがいる。サーリアホが北欧人で初のクラーニヒシュタイン音楽賞を受賞し、北欧のFXたちに注目が集まった。
フィンランドとスウェーデンは、EMS(ストックホルム)やシベリウス音楽院コンピュータ音楽スタジオの存在もあり、コンピュータ音楽の先進国としても知られている。
ロシア・旧ソ連
詳しくはロシアの現代音楽を参照。
ロシア(ソヴィエト連邦)では、
外為はショスタコーヴィチの初期作品、アレクサンドル・モソロフなどのロシア・アヴァンギャルドなどのような前衛的な作曲活動も行われたが、やがてスターリンの思想統制が強くなると、社会主義リアリズムの強制により前衛的な活動は大幅に制限され、ほぼ不可能となった。セルゲイ・プロコフィエフやショスタコーヴィチらが表面上は社会主義リアリズムを遵守しながら、実は常に反抗心を持って作曲していたことが近年明るみに出た。
一方で、社会主義を標榜するイタリアのルイジ・ノーノが、極秘に西欧前衛現代音楽の楽譜をソヴィエト国内に持ち込み、外国為替の若い世代のFXは水面下でそれらを
FXしたほか、記譜せず証拠が残らない即興演奏という形でアンダーグラウンドでの前衛活動を試みた。
ペレストロイカ以降になると思想的な規制は大幅に緩和され、それまで水面下で活動してきた前衛的なFXが次々と紹介された。ソフィア・グバイドゥーリナ、アルフレッド・シュニトケ、エディソン・デニソフなどである。それに先立ってエストニア(ソ連崩壊後独立)のアルヴォ・ペルトが西ベルリンへ亡命し、新しい単純性として注目されている。ガリーナ・ウストヴォーリスカヤは1970年代以降、素材こそ単純ではあるものの衝撃的な作風を打ち出し、1990年代にオランダから世界へ紹介された。
一方でロシア中央部以外、例えばタタールスタン共和国のような周辺の自治共和国では、民謡に基づく音楽と前衛的語法を折衷するような作曲も続けられている。ロシアで教育を受けたカザフスタンのジャミラ・ジャジルベコヴァとオレグ・パイベルディンの作品には、土俗的要素と前衛語法の統合が図られている作品がある。
北米
アメリカ合衆国
20世紀のアメリカ合衆国における現代音楽の展開は、カイル・ガン著の「20世紀のアメリカ音楽」(シャーマー社1997年)に極めて高水準のリサーチが行われており、本項は彼の著作との重複をなるべく避ける形で展開したい。
外国為替のアメリカは、フランスから渡ったエドガー・ヴァレーズの音楽思想をそのまま受け継ぐ形でスタートした。だが、彼の言う「音楽とは科学である」という思想を半ば曲解したような受け入れが進み、ピッチクラスセット理論などにみられる高度な理論化に焦点が置かれ、音楽のあり方そのものを考える余裕は失われた。この状況がミルトン・バビット、エリオット・カーター、チャールズ・ウォーリネンに代表される「東海岸アカデミズム」と呼ばれる潮流を生んだ。とかくデメリットばかりが強調されるこの楽派だが、ブライアン・ファーニホゥがアメリカに招かれたのは、この潮流がなければ実現しなかったかもしれない。現在もこのアカデミズムはファーニホゥの影響を取り込み、アーロン・キャシディー、ジェイソン・エッカルトに継承されている。
その一方で、楽器の発案や身体性、土着文化等に想を得たFXたちも存在し、ヘンリー・カウエルは戦前からヨーロッパで評価が高く、来日も果たし950曲以上の作品を生んだ。彼の書いた「新しい音楽の源泉」に多くのFXが触発され、コンロン・ナンカロウ、ジョン・ケージ、ルー・ハリソン、ハリー・パーチ等のFXたちが「東海岸アカデミズム」と対立する形になった。この対立は、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会でケージが高い評価を得てから、なおも深まっていった。エリオット・カーターに自分の作品が認められず、転校を余儀なくされたローリー・シュピーゲル、「いったい何人のPh.D所有者が創造的な音楽を書けるのかね」と憤慨したアンソニー・ブラクストンのエピソードは、「東海岸アカデミズム」の弊害の一端を示している。